つれづれブログ 

清閑の地に 世界最古の 庶民の学校 2010年3月13日

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CIMG8314 地名の通り、清閑な山と谷に抱かれた地に江戸時代に建てられた閑谷学校はあります。

寛文10年(1670)岡山藩主、池田光政が儒学に基づく士庶共学、庶民を含めた平等の教育を目指してこの地に学校を開いた。

創建当時は、簡素なかやぶきだったが、学校奉行、津田永忠(ながただ)が元禄14年(1701)に大改修して、今のような壮麗な講堂、聖廟、石塀などが出現したという。
身分制度が厳しかった江戸中期、藩士だけでなく、農民など庶民の子弟、他藩の好学者にまで門戸を開いた学校は、岡山藩が初めていわれ、当時先進的な教育機関だったといえる。

以来、苦難と変転を繰り返しながらも連綿と“学灯”が守り継がれてきた。
構造物のほとんどが国宝や重要文化財に指定されている。

訪れたときは、梅が美しかったです。
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CIMG8321 ←かまぼこ形の石塀。表面は硬い水成石の切り石を張り合わせたもので、中に栗石が入っており雑草一本なく、すべすべしている。

重要な建物は一度も火事で消失しなかったことは奇跡に近いです。
それは、講堂などの建物群がある一画と火事を出しやすい学寮、厨房などがある西側の一画とが火除山と呼ばれる人造の防火丘陵で完全に遮断されているからです。

国宝講堂全体から凛とした雰囲気が漂ってきます。

駐車場に車を止めて閑谷学校に向かって歩いていくと壮大なパノラマが広がってきて、息を呑みます。
建物はすべて赤い備前焼瓦で統一されており、建物の周りを石塀が整然と囲みます。
地形の高低、建物の配置のバランスは見事で圧倒されます。
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CIMG8325 巨大な槐の木が2本孔子を祭る聖廟の前に立っています。
大正14年に中国から持ち帰った種子を苗に育てたものが植えられたそうです。
紅葉のときは見事だそうです。

講堂に使われた備前焼瓦だけでも25000枚、聖廟なども合わせると10万枚近い瓦が焼かれたという。
とにかく瓦の色が美しいのです。
津田永忠の偉業

光政、綱政2代の藩主に重用され、閑谷学校、和意谷墓所、後楽園の造営、大規模な新田開発、難民救済、藩財政の建て直し‥‥と次々と大事業をやり遂げた超人的な仕事ぶりからみて、岡山藩200年の歴史を通じて最も傑出した藩政家だったといえる。

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以前、NHK教育テレビで放映されていた「国宝探訪」は、私を日本の美の世界にいざなってくれて毎週楽しみに勉強させてもらっていました。

その番組も残念ながら終わってしまったのですが、その最終回が、閑谷学校でした。

ずっとナレーターを努められていた長谷川アナウンサーがついに登場されて、この閑谷学校の石塀を歩かれていたのが印象的でした。

それから、いつかは訪れてみたいと思っていたのですが、訪れてみると、最終回に相応しい凛としたという言葉が一番良く似合う場所でした。

この閑谷という名前も池田光政が名づけられたそうです。



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わけぎの 旬は 今ですよ 2010年3月 8日

CIMG8290 いつもお野菜をいただくお客様が、自ら自転車をこいでわざわざ持ってきてくださいました。
いつもありがとうございます。

今が旬だそうです。
知っていましたか?
4月になるともう硬くなってしまうそうですよ。

地産地消が一番。
エコだしね。

早速ぬたにしましょか、
小口切りにしてそのままお葱で食べようか
ベジタリアン一家としては、涎が出そうなくらいおいしそう(^0_0^)


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繋がれたことで 考えたこと 2010年3月 8日

以前、学習障害のディスレクシアだとカミングアウトして、活動されている南雲明彦さんの講演を聴いたことを、ここに書きました。

すると、翌日、なんと!ご本人から「初めまして」メールが届きました(^0_0^)

想定外のことだったので、驚き100%(^0_0^)

でも、とてもとても嬉しかったです(^。^)

ネットの威力はハイパワー!。

講演者と聴講者が繋がることができるのは、ネットの力と南雲さんの心だと思います。

彼のナチュラルな心が人の輪を広げていく。

それから、私は、彼の本を読みました。

南雲さんは、私の長女と同じ年なので、南雲さんのお母さんに多分に感情移入をして読み進み終わりました。

著者が南雲さんに長時間インタビューをしたことと、お母さんの日記で構成されています。

人と違うと感じた頃からの葛藤や高校生になり、無気力、不登校、うつ状態になり自傷行為や精神病院に入院に、自殺未遂。高校も4つ変わっています。

日常生活における強迫性障害。他人との接触についての「対人恐怖」。薬漬けの日々。

でも、どこへ行っても場所を変えても自分のことを受けてくれる人はいなかったという。

24歳の彼が壮絶な経験を経ても、まだ希望を失わなかったからこそある今。

読んでいて、胸が締付けられるようでした。

そして、私にそんな状態の子どもがいたら、南雲信子さんのように、ここまで強くやさしく粘り強く慈悲の心でこんなに長く接することができるだろうか。

ディスレクシアだと早くわかっていたら、こんなに苦しまずに早期に対処できたことだけは、確かです。

読んでいても、早くわかっていたら、と何度も繰り返してしまいました。

だからこそ、彼がカミングアウトすることにより、同じように苦しんでいる人の力になりたいと活動されているのだと思う。

本の最後には、

「みんな、ちがって、みんないい」ではなく、「みんなちがうこと。それを認め合えること」の共通認識が社会常識となる社会。それを日本社会の中に育てられたら、というのが、障害を持つ僕の、永遠に変わらない願いです。」と結ばれています。

南雲さん、本当にメールありがとうございました。

繋がれた縁に感謝。

 



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「気持ちだけ」 は 気持ちがいっぱい 2010年3月 7日

最近の嬉しいお話を2つ

1.京都の宝ヶ池でお昼ご飯を食べたので、昼からそこを基点にどこへいこうか、と考えて、平安京の鬼門を守る鞍馬寺の毘沙門天様に会いに行くことにしました。

駐車場で500円を払って、いざケーブルで入山しようとしたら、国宝の毘沙門天様がいらっしゃる霊宝館は休館中といわれたので、入山を中止にして、仕方なくものの5分くらいで車に戻りました。

車を発車して、出て行こうとしたら、駐車場の方が「気持ちだけですが」と声をかけてくださり、窓を開けると200円backして渡してくださいました。

駐車はしたのだから、そのままでも、構わないものを、わざわざ声を掛けてくださったのです。

本当に気持ちがとっても嬉しかった♪

 

2.今日、神戸市立博物館へ出かけ、窓口でお金を払おうとしていたら、若い女性が「おひとりですか?」と声を掛けてこられました。

2枚入場券を持っているので、「おひとりだったら、一人分あるのでどうぞ」と渡してくださいました。

嬉しい♪

私だったら、2枚券を持っていて、今日で特別展が最終日だから見に行こうとして、そんな心遣いができるだろうか。まして、私よりずっと年も若いのに。

これから2枚券あって1枚使う当てがなかったら、絶対次からこんな心遣いしてみなくっちゃ(^。^)



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洛中から北へ 貴船神社 2010年3月 2日

 洛中から367号線を北へ向かうと大原へ行きます。その先は鯖街道で朽木から若狭へと続いています。大原は大原野と言われるので広く野が広がっています。

 洛中から鞍馬街道を北へ向かうと鞍馬川に沿って鞍馬寺につながり、その先は花脊へ、その先はかやぶきの里美山町へと続きます。

鞍馬寺の手前の叡山電鉄貴船駅辺りで鞍馬川と貴船川に分かれ貴船川に沿ってたくさんの料理屋さんが並んでいてその中に貴船神社があります。本当に渓谷で川と道が並んでいてその反対側は山が迫っていて川と道と山のわずかな間にお店と貴船神社が立ち並んでいて独特の景観を形作っています。夏に訪れたときは、道が細いので、車の行き来が困難なほど川床へのお客で賑わっていましたが、昨日は、冬とはいえ、ぼちぼちと人観光客が行き交っていました。

最初は鞍馬寺に行こうとしたのですが、霊宝館が冬季休館中だったので、貴船へ目的変更しました。

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貴船神社は、本宮と奥宮と結社と3つに別れて建っていて写真は本宮で建物は平成17年に新しく立て替えられています。

奥宮も60年ぶりに解体修理が終わり古い姿のままにという修理の方針に基づいて、使用できる木材はできるだけ使って、元の姿に復元されています。

川を挟んで反対側に「古事の道」と書いてある標識がありました。

何だろうと、思っていたのですが、貴船神社に置かれていた「貴布祢」という新聞に次のことが掲載されていました。

貴重な文化財の社寺建造物を守る目的で、貴船川の鞍馬山国有林の一部を古事の森に指定し、当時呼びかけ人の立松和平氏をはじめとしてボランティアの人たちが集まって檜の苗木を植え、三百年、四百年かけて、木を育てようとの壮大な計画のもと、より多くの人たちに親しんでもらうため遊歩道が新設されているそうです。

作家の立松和平さんの足尾銅山の植林やこのような事業の活動を、素晴らしいと思っていただけに、早くに旅立たれ残念です。



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