ろうじブログ 

北ガーデン 開花情報 2010年5月 5日

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寒い長雨続きがうそのように、晴れ渡った暑いぐらいのGWが続いています。

こんな良いお天気の日は、どこかに出かけなくてはと、体がウズウズしますね。

事務所のバラもこのお天気に誘われて、見事に花開いています。

それにしても見事な絞り染めのような色合いで花を咲かせています。

「カージナル・ド・リシュリュー」といいます。

ヨロシク(^。^)



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平城宮跡地保存への 熱い思い 2010年5月 1日

大極殿

平城遷都1300年祭が華やかに4月オープンされ、11月7日の会期中は大勢の人出が見込まれるそうですが、この平城宮跡に復元された大極殿は文化庁が01年度から約180億円をかけて造られた巨大建築で、まさに、同祭のシンボル。

平城宮跡に大極殿があったことはわかっていても、復元作業はお金も手間もかかるので、このようなプロジェクトでもなければ出来ることではないだけにこんな立派な建物が復元できたことは嬉しいです。でも、まだ、見に行ってはいません。たぶんGW中は、人が多いだろうし、建物は、これからも立っているだろうからボチボチにします。

ところで、広大な土地が平城宮蹟に指定され保存されています。これって奇跡(^。^)だと思います。

平城宮跡がこのような形で今に残っている経過を千田稔さんの「平城京の風景」という本から、紐解くと、平城京が条坊制によって作られていたことは、文献からは知られていたけれど、具体的に土地をどのように区画していたかについて書かれた奈良時代の地図資料は存在しなそうです。

やっと幕末になって藤堂藩の大和古市奉行の北浦定政によって試みられた。

その後、明治になって建築史家の関野貞によって精密な近代地図を用いて平城京の復元が試みられた。

そして、昭和34年ごろから奈良国立文化財研究所の発掘調査によって新しい展開を見せる。特に関野貞の研究によって平城宮の遺跡が世の中に知られるようになってその保存運動が口火を切る。奈良市の植木商棚田嘉十郎は私財を投じて、運動の先頭に立ち、佐紀村の農民溝部文四郎の助けを得て保存会を結成し、朝堂院推定地全域を寄付金と募金によって買収し、保存地として確保したのである。

大正8年史蹟名勝天然記念物保存法が制定され、この土地は国の史蹟になった。

平城宮保存問題に関して戦後、最も重要な局面を迎えたのは、昭和36年である。近畿日本鉄道が宮跡内に検車区を建設する計画を発表したことが報道されると、住民や考古学者、歴史学者などいっせいに工事中止を求める声をあげ亀井勝一郎を代表とした「平城宮跡を守る会」が結成され国民的な運動が展開されることになった。

ついに時の池田勇人内閣が宮跡全域を5年間で20億円を支出し全域を国有地とすることを決定した。

さらに昭和39年国道24号線バイパス工事予定地も宮域であることが判明し保存運動により、道路のルートが変更になり、宮跡の追加指定となった。

このように先人たちの保存への熱い思いの積み重ねで、あれだけの遺構が今に残っていることは、奇跡であるとともに良くぞ残ってくれたと感謝です♪

このようなことを知って大極殿を訪れると感動が何倍もになると思います。



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飛鳥の風を感じて 2010年4月29日

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飛鳥を訪れると、いつも、よくぞ今までこの風景が守られてきたと感謝します。

心地よいお天気の中で、たくさんの方が、歩いたり、レンタサイクルを利用されたりして、飛鳥の風を感じていました。

CIMG8683 ここは、史跡・伝飛鳥板蓋宮跡です。推古天皇から持統天皇に至る7cの100年間は飛鳥地方には歴代天皇の宮が次々に造営されたが遺跡は確認できていないそうです。皇極天皇の宮については伝承があり、発掘が続けられた結果、この遺跡が明らかになったそうです。どんな建物がたっていたのだろうとか、飛鳥の地は、想像力を掻き立てます。また、想像力を巡らすことによって何倍も飛鳥の魅力を感じることができます。
飛鳥って、飛鳥びとの風を感じるところだと思います。
CIMG8692 聖徳太子生誕の地 橘寺。

これは太子殿で、中に重文の聖徳太子像が安置されています。
室町時代の椿井舜慶の作と両脚部裏面の墨書銘から確認されている本格的な作例。
あまり大きくない像(55.1cm)が、大きな厨子の中に座っておられてその部屋の外からのちょっと遠い所からの拝観になりますが、なかなか立派な綺麗な造りだと思いました。

観音堂です。中に重文の六臂の如意輪観音が座っておられます。お顔は定朝の作風に近いです。
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飛鳥時代の石造物の二面石。

太子殿の左横にあり、人の心の善悪二相を表したものといわれています。

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橘寺を訪れたお目当てはこの聖倉殿の寺宝を見るためでした。

最初に拝観料を払えば、ここだけ別にお金を払うこともなく、無料で入ることが出来、心行くまでおまいりさせていただけました。中には、重文・貞観仏の日羅上人像と重文・藤原時代の地蔵菩薩立像と同じく重文・聖徳太子絵伝、重文・鎌倉時代のだ太鼓の縁、重文・吉野朝時代 橘寺型石灯籠などが展示されており、普段見ることの出来ないほう宝物が平城遷都1300年記念事業の一環として見せていただけることはありがたいことです。

特に今回日羅上人像を拝見することが出来たのが、とても嬉しかったです。

ド素人目なんですが、目が特徴的で、小顔で貞観仏独特のごっつさがなく、優しい感じでありながら、しっかりと造られている仏様の優品だと思いました。

ちなみに、田島間守(たじまのもり)が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求めに行き、持ち帰った時には天皇は亡くなっていた。そのとき持ち帰ったものを当地に蒔いて芽を出したものが橘だったので、この地を橘を呼ぶようになった。また、黒砂糖も一緒に持ち帰り後に蜜柑・薬・菓子の祖神として崇められる様になったことから、お菓子屋に橘屋の屋号が多いそうです。

蘇我馬子の邸宅があったとされる甘樫丘、飛鳥時代からずっと同じ場所に座り続けられている飛鳥大仏、馬子の墓とされる石舞台古墳、川原寺などこの地に来ると、飛鳥時代にタイプスリップすることができます。

いつまでも飛鳥のこの風景が守られますように(^。^)



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みて 感じて 感動~平山郁夫展~ 2010年4月28日

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奈良県立万葉文化館で4月17日~5月30日まで「平山郁夫展」が開催されています。

平山さんの原点の《仏教伝来》をぜひ見てみたかったので、出かけました。

今年のお正月に、薬師寺の玄奘三蔵院伽藍大唐西域壁画殿特別公開で、平山郁夫さんの壁画を見ました。そのときは少し離れてガラス越しだったので、大壁画の全体像は掴めたし、平山さんのスケールの大きさや偉大さは伝わりましたが、今回のように間近で絵を見せていただくと、感動が全然違いました。何枚かの絵はガラスではなく、そのまま展示されていたのがとても迫力あるものとなってこちらに迫ってきました。偉大な足跡を実感させていただき本当に感動でした。

入ってすぐのところに大作の長安の残輝、その横に高熠る藤原京の大殿、その横に、未完成に終わった平城京の大下図が貼ってあります。入院して看護婦さんに紙をもらってセロテープで張り合わせ下絵を描かれたそうです。A3ぐらいの紙を何枚も張り合わせ画鋲で止めてありました。お目当ての仏教伝来は、命がけで描かれた平山さんの心が伝わってくるような密度がありました。

絵は、図録や複製画やポスターの印刷と本当の絵とは、色や厚みや密度の違いにあまりに差があるように思い愕然とするのですが、今回も見終わった後、図録を買おうかどうか迷うぐらいに差を感じてしまいました。原爆症と闘い、文化財保護を訴えて活動され、あらゆる所に実績を残された偉大な平山郁夫さんの足跡を感じることができる素晴らしい特別展でした。

まだ、行かれていない方はぜひ訪れてみてください。

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でも、万葉文化館はとても立派な建物のように思います。

富本銭が出土した飛鳥池工房遺跡の上に建物が建っているのですが、これで遺跡との共存になっているのでしょうか。また、地下一階にはとても立派な万葉の歌を紹介する展示になっているのですが、立体的な構成になっていて結構お金がかかっているように思います。中身はあまり見るところがなかったように感じたのは、私が、万葉の歌が全然わからなかったからでしょうか。

それはそれとして、本当に、平山郁夫さんの絵を実際に見て良かったと感動しました。



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奈良時代と鎌倉時代が合体された 法華堂 2010年4月23日

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東大寺大仏殿から坂道を上がっていくと、法華堂の正面ではなく西側面が見えてきます。向かって左半分の4間が奈良時代、右半分の4間が鎌倉時代の建築です。奈良時代のものは、現存する奈良時代建立の仏堂の数少ない現存例として貴重です。

右側から数えて4本目の柱の上には組物がなく、代わりに実用上は必要のない雨樋が入っている。これは正堂と礼堂が本来別棟で、ここに雨樋があった名残りです。

CIMG8594 ここがつなぎの部分です。

くっつけたのは鎌倉時代に東大寺を復興した重源さん。それまでは法華堂は人間が入れなかった。人間は別棟の礼堂で拝むものだったが、弱っている建物を復興するときに引っ付けたそうです。

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法華堂南正面に立つ重要文化財の鎌倉時代の石灯篭で、伊行末の銘があるそうです。
伊行末は、東大寺南大門の仁王像がある反対側の石の獅子像を作った人です。石は中国から運んできています。
鎌倉時代に、伊行末らによって石造美術の技術が入ってきて奈良から全国に伝わったそうです。

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南大門を下から見上げました。大円柱が屋根まで達しています。

今度、東大寺に行かれたら、仁王像もかっこよくて素敵ですが、建物も下から見上げて伊行末の獅子像もゆっくりと見てください。

それにしても復興事業を成し遂げた重源さんは超スーパーマンです。



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