月心寺の精進料理

12月なら7日であれば予約することはできるが、今年はあと、どうなるかは分からないといわれたので、この日で予約を入れました。

10人以上なら即OKで、それ以下の人数なら、他の方と合わせて10人以上になれば良いということなので、お店の都合に合わせました。

庵主様は高齢で引退されたので、食後にされていた講話はありませんということでした。

駐車場はないとのことなので、電車で行くことにしました。食事開始スタートは11時。

大阪からJR野洲行きに乗り、山科で京阪電車に乗り換え4つ目の大谷駅で下車。無人駅でした。

そこから車がビュンビュン走る国道沿いを歩いて戻って5分ほど歩くと、本当に道沿いに走井の看板がありました。

電車で正解。電車と平行して道が通り、両側の狭い土地に家が立ち並び、両側とも山が迫っている狭隘の地で、車止めるスペースも周りに駐車場もありません。

このあたりは、京、大津への玄関口、逢坂山の関所を控える、かつては東海道随一の賑わいをしていた追分の地で繁盛していた走井茶屋の跡だそうで、月心寺には、今も境内には枯れることなく「走井の名水」が湧いている。

寺の境内も山が迫る傾斜地で、山を背景に庭が造られている。

下からお茶室を眺める。

薬師如来の石仏

国道一号線の拡張や東海道本線の開通で町が廃れてしまったが、このまま朽ちるのを惜しんだ日本画家の橋本関雪が大正3年に自らの別邸として購入し、後で天竜寺派の寺院になったそうです。

ご挨拶に来られた方は、関雪から数えて4代目の妻の方で、実質今はこの方がここを運営されているようです。

予約の電話をしたとき、電話口で「橋本です。」と言われた謎が氷解です。

庵主様は交通事故に遭われて今は千葉の病院に入られているそうです。現在は、手紙などが書けるほどに回復はしているが、こちらに帰ってくることはないということです。

今からお出しする料理は、京都の橋本関雪記念館で料理を作っている、元和久傳の料理長をしていた方の指導の下、庵主様の料理を元にアレンジしてしているそうです。

向こうのお部屋に10人ほどの団体さんがおられて、こちらの和室には2人ずつの3組、6人が座布団に座ってこれから料理をいただきます。

国道沿いで建物が古いので、車の音が本当にすごいです。

最初に出された「走井餅」

飲んでしまったおうす。下はホットカーペット

ごはん・ごま豆腐・赤だし・食前酒

おにゆずを器にしてかぶら・生麩などを柚子味噌でいただく。

ひろうすとかぶらの葉

春菊・茗荷などの生野菜をとんぶり入りのドレッシングで。

ほとんどのお料理は大皿に盛られていて、取り分ける。これは片半身麻痺であった庵主様が料理をしやすい方法として大皿盛りをされていたそうで、それは今も受け継いでいるそうです。

根菜類のごま和え

海老芋とずいきの煮物

原木椎茸とごぼうと高野豆腐の天麩羅

酢の物

おこげをお汁に入れていただきます。

もう食べられないぐらいの量でした。

お隣の親子連れの方は東京から来られたそうです。庵主様の本を読んで、是非庵主様のお料理を食べてみたい以前から思っていて、これを食べるために新幹線で来られたそうです。

庵主様がおられないのは分かっていたけれど、お料理は継承されているはずだと今回来られたそうです。

お腹満腹で2時前に月心寺を後にしました。ごちそうさまでした。