平城宮跡地保存への 熱い思い 

平城宮跡に大極殿があったことはわかっていても、復元作業はお金も手間もかかるので、このようなプロジェクトでもなければ出来ることではないだけにこんな立派な建物が復元できたことは嬉しいです。でも、まだ、見に行ってはいません。たぶんGW中は、人が多いだろうし、建物は、これからも立っているだろうからボチボチにします。

ところで、広大な土地が平城宮蹟に指定され保存されています。これって奇跡(^。^)だと思います。

平城宮跡がこのような形で今に残っている経過を千田稔さんの「平城京の風景」という本から、紐解くと、平城京が条坊制によって作られていたことは、文献からは知られていたけれど、具体的に土地をどのように区画していたかについて書かれた奈良時代の地図資料は存在しなそうです。

やっと幕末になって藤堂藩の大和古市奉行の北浦定政によって試みられた。

その後、明治になって建築史家の関野貞によって精密な近代地図を用いて平城京の復元が試みられた。

そして、昭和34年ごろから奈良国立文化財研究所の発掘調査によって新しい展開を見せる。特に関野貞の研究によって平城宮の遺跡が世の中に知られるようになってその保存運動が口火を切る。奈良市の植木商棚田嘉十郎は私財を投じて、運動の先頭に立ち、佐紀村の農民溝部文四郎の助けを得て保存会を結成し、朝堂院推定地全域を寄付金と募金によって買収し、保存地として確保したのである。

大正8年史蹟名勝天然記念物保存法が制定され、この土地は国の史蹟になった。

平城宮保存問題に関して戦後、最も重要な局面を迎えたのは、昭和36年である。近畿日本鉄道が宮跡内に検車区を建設する計画を発表したことが報道されると、住民や考古学者、歴史学者などいっせいに工事中止を求める声をあげ亀井勝一郎を代表とした「平城宮跡を守る会」が結成され国民的な運動が展開されることになった。

ついに時の池田勇人内閣が宮跡全域を5年間で20億円を支出し全域を国有地とすることを決定した。

さらに昭和39年国道24号線バイパス工事予定地も宮域であることが判明し保存運動により、道路のルートが変更になり、宮跡の追加指定となった。

このように先人たちの保存への熱い思いの積み重ねで、あれだけの遺構が今に残っていることは、奇跡であるとともに良くぞ残ってくれたと感謝です♪

このようなことを知って大極殿を訪れると感動が何倍もになると思います。