広沢池と遍照寺

広沢池のほとりに立て札立っています。

「遍照寺旧境内」-遍照寺は宇多天皇の孫にあたる僧寛朝が広沢池の北西および西側一帯に創建したものです。

広沢池は、この創建時に池の南側を堰き止めて造られたとも伝えられています。

遍照寺は大覚寺と隣接して壮大な伽藍を構えていましたが、応仁の乱より衰退し、そのご江戸時代の寛永年間に嵯峨広沢西裏町に再建されて現在に至っています。

寺には定朝の父康尚の作とされる重要文化財の本尊十一面観音立像と不動明王坐像が当時のものとして安置されています。

これまで、創建時の遺構はほとんど残ってないとみられていましたが、近年、池の西北岸で基壇状遺構が残存していることが明らかになりました。

この遺構は一間四面の御堂跡とみられ、平成4年に京都市史跡に指定されています。

 

以上のことが書かれています。

池は今水が抜かれています。

電柱もなくのどかな田園風景が広がっています。         あの向こうの建物はなんだろう?

遍照寺本堂 この中に観音様とお不動様が祀られています。

受付で拝観をお願いすると、奥様が本堂の後ろの収蔵庫を開けてくださいます。

中は暗いのですが、スタンドの照明を当ててくださり、説明をしてくださり、心ゆくまで拝観させていただけます。

内刳がない古様な造りで、量感豊かな9世紀の一木彫から11世紀の寄木造りへと変遷をしていく途中の10世紀の作といわれています。

十一面観音は金箔で覆われ金色に輝き、不動明王は体は赤色だったそうです。

今は2体並んでいて、黒ずんだ木彫ですが、創建当時はとてもカラフルだったんだと思って想像力が膨らみます。

広沢池をもう少し、北へ向かうと宇多天皇陵があります。

広沢池のむこう岸のあの風情のある建物を見に行こうとしましたが、曲がる道がありません。

道には「平安郷」という立て札が立っていて、何かと目を凝らしてあたりの建物などを見渡してやっとわかったのが、世界救世教の持ち物で、立派な研修センターも建っています。

以前熱海のMOA美術館の豪華さに圧倒されましたが、そこが私有地だとわかったので、建物に向かうのをあきらめました。

本当にこのあたりは風致地区なので高い建物もなく、静かなのどかな風景が広がっていました。