現在の名工に出会える寂光院

このお寺は、平清盛の娘、高倉天皇の中宮で安徳天皇の生母である、建礼門院徳子が、余生を送ったところとして有名です。

壇ノ浦の戦いで安徳天皇とともに入水したが、1人助けられて生き残り京都に送還された。

そして、尼となって念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地であった大原に閑居し、その後は昼夜絶えることなく念仏を唱え平家一門や高倉・安徳天皇の菩提を弔う日を送ったという。

そんな建礼門院のもとへ後白河法皇が訪れた話が「平家物語」の最終を飾る「潅頂の巻」である。

2000年5月9日未明に火災が発生したことを報じる新聞です。

心無いものの放火によるものです。

本堂は全焼し、本尊の重要文化財木造地蔵菩薩像も全体が焼けたが、本堂の中で、毅然と立っておられたという。

胎内の小さな地蔵菩薩像は無事で重文指定も取り消されることもなく、宝物館に小さなお地蔵様や願文横笛などは展示されています。

像内納入品は追加指定され小さな地蔵菩薩立像は3416躯もあるそうです。

今本堂では、新本尊の地蔵菩薩立像が立っておられます。

財団法人美術院国宝修理所の所長をされていた、故・小野寺久幸仏師とお弟子さんによって形・大きさとともに元通りに復元された。

小野寺氏は東大寺南大門仁王像の解体修理の指揮を取られた方で、生前講演を一度聞かせていただきました。

去年その訃報に驚きましたが、作られたものは、これからもずっとここでお姿を拝見することができます。

ヒノキの寄木造り。鮮やかな彩色とともに鎌倉時代の造られた当時にタイムスリップできます。

建礼門院の像

女官の阿波内侍の像とともに今回張子の像であったものを木造で作り直された。

彫られたのは、平安仏所の江里康慧仏師で、1年有余の歳月を経て完成した。

扉に美しい大原に自生する草花を配した溜め塗りの厨子は人間国宝の故佐代子夫人の手になるものです。

江里佐代子さんが外国に行かれているときに突然亡くなられたというニュースが飛び込んできたときは、まだお若いのに‥これからもっと活躍される方だったのに‥と残念と驚きでいっぱいになりました。

小野寺久幸さんと江里康慧さんの作られた仏をみることができる寂光院です。

モリアオガエルの卵

樹上に住み、池や沼などの水辺に泡状の卵塊を産むカエルです。

境内の池にいくつか卵がぶらさがっていました。

2005年再興された本堂

建礼門院が住んでいたと跡とされる

参堂も境内もきれいに掃き清められていて、手入れも行き届いています。

石段も石の間に目地を入れて丁寧なお仕事をしています。

サスガ京都です(●^o^●)