重要文化財 伊豆韮山の江川邸
願成就院で見学に来ていた初老の男の方が、これからどこに行かれますか?と私たちに声を掛けてくださり、他の見学者のご夫婦と私たち親子と4人を車で江川邸に
連れて行ってくださいました。江川邸はとても有名だそうですが、私は、初めて耳にしました。
江川家は、江戸時代には、伊豆、駿河、相模、武蔵、甲斐という広大な幕府直轄地を統治する世襲代官だったそうで、今も当主が東京にご健在で養子を迎えずに代々直系が江戸時代から脈々と続いているお家だそうです。
その代官所がその重厚な造りと歴史的価値の高さから昭和33年に国の重要文化財に指定されているそうです。
入り口で券を買って中に入ろうとするすると、ボランティアガイドの方が声を掛けてくださり、上手な解説付で案内をしてくださいました。
南米蔵は明治25年建築。北米蔵は大正8年建築でどちらも内部を転じスペースとして公開している。
特に代々江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)を名乗るそうですが、特に幕末の江川坦庵がすごい人で、洋学の導入に貢献し、民政・海防の整備に実績を挙げる、パンの祖でも有名だそうです。
パン祖の碑の前で。パンといっても乾パンで、実物がおいてありましたが、大変重く、これを水でふやかして食べたそうです。
小屋裏は、たくさんの桁・ 貫で組まれ、くぎやねじ類を一切使ってない耐震構造で、建築家の方の見学も多いそうです。
日蓮上人直筆のものが棟札にあがっていて、それ以来日蓮上人に帰依し日蓮宗であり、火災予防の護符がずっと効力を発揮し、火事にも遭っていない。
江川家がこの地に移り住んだ時に、映えていた欅をそのまま柱として利用したものと考えられ、大事にされている柱で「生き柱」と呼ばれています。
家の造りもこの木に添って建てられているので曲がっています。こんなのいいですね。(^u^)
とても広い敷地の中にたくさんの建物が建てられており、母屋の大きく広い。現在は当主は東京にお住まいなのでここには住まれていないが、行事の時帰って来られるそうです。
ボランティアガイドの方の説明がとてもわかりやすく、しっかりと説明をしていただいたことで、何も知らなかった、この江川邸が頭にしっかり入ってきました。
そのあと江川坦庵の大きな業績のひとつとして、また旧韮山町のシンボルとして今日まで親しまれてきたのが、反射炉を訪れました。
それと江川英龍(坦庵)とお台場の話をボランティアガイドさんより伺いました。
ペリーが4艘の黒船を率いて来航し武力を背景に開国を要求したとき、その防衛策として東京湾に12の人工島を築き、たくさんの大砲を備え付けました。
これが「台場」です。その設計から完成までの総指揮に当たったのが韮山代官江川太郎左衛門英龍(坦庵)でした。
それらの台場は将軍の命令で造られたので、敬意を表すため「お台場」と呼ばれていて、その呼び方が現代にも地名として残っているのです。
完成した台場には、韮山反射炉で造られた、鉄製の大砲が備え付けられました。
昭和30年代以降、東京湾の埋め立てと開発が進む中それぞれの台場は姿を消していったが、現在、第三台場と第六台場の二つだけが史跡として残されています。