仁和寺には何回も行ってるはずなのに‥
その歴史は、光孝天皇が伽藍建立を発願したが、完成前に崩御し、その次の天皇宇多天皇によって金堂が竣工した。
在位10年で譲位し、出家し仁和寺に室(むろ)=僧房を営み初代住持になり以後30余年の生涯をここですごしたので、仁和寺は御室御所と呼ばれ、やがて御室は地名になった。
その後、代々法親王を門跡に迎えた仁和寺は栄え、広沢流として醍醐寺の小野流とともに真言密教の一大流派を形成していたが、応仁の乱で致命的な打撃をうけた。
その仁和寺がみごとな復興を遂げるのは江戸初期の覚深(かくじん)法親王のとき徳川家光の援助をうけて復興する。
現存する伽藍のほとんどはこの寛永中興時の遺構である。
以上歴史経過です。
仁王門も五重塔も金堂も御影堂もみんな江戸時代に創建されてるんですね。
この霊明殿の中に「秘仏」 像高10.7cmの平安時代の国宝薬師如来が収められています
一度拝観させていただきたいと思いますが、叶うでしょうか?
同じ真言宗の醍醐寺も入ってすぐの左手に三宝院があり、書院と庭がありましたね。
金堂は国宝です。慶長年間造営の内裏紫宸殿を移築したもの。現存最古の紫宸殿として国宝指定
神奈川仏教文化研究所のHPの特選情報に下記の記事が記載されていました。
京都・仁和寺観音堂初の解体修理へ(2011年1月20日)
京都市右京区仁和寺が、主要建築物の一つで国の重要文化財に指定されている「観音堂」を、江戸時代初期の創建以来初めて解体修理する方針を固めた。
観音堂は幅約9m、奥行き約9mで、寛永18年(1641)~正保元年(1644)に建てられた入り母屋造り、本瓦葺きの建築物。
昭和48年に国から重文指定を受けた。千手観音菩薩が本尊で、不動明王や降三世明王なども安置され、壁面や柱などには諸仏や高僧が極彩色で描かれている。現在も真言密教の最も重要な儀式「伝法灌頂(かんじょう)」が営まれ、修行僧の日々の勤行にも使われている。
仁和寺では近年、全体に建築物の傷みが目立ち始めた。中でも創建から未修理の観音堂は瓦の破損、木材の虫食いのほか、階段の一部が外れたり、全体的に床がゆがんだりするなど傷みが激しく、同寺は根本的に修理する必要があると判断したという。
お堂は閉まっていて人の気配もしないし、静かに佇んでますが、現役活躍のお堂なんですね。
冬で人も少なく、宝物館も閉じられおり(春と秋の2回公開)ゆっくりと拝観することができましたが、4時になると拝観時間を知らせる放送があり、(冬は4時半に閉門)気ぜわしく門を後にしました。
今度こそ、忘れないようにしよう!