京の冬の旅~その3 長楽寺
平安時代の創建当初は天台宗の別院でしたが、室町時代初期当時の一代の名僧国阿上人に譲られ時宗に改まり、明治39年に時宗の総本山格であった名刹七条道場金光寺が当時に合併され、今に至る。
また、当時はもともと円山公園の大部分を含む広大な寺域を持った有名寺でありましたが、大谷廟建設の際幕命により境内地を割かれ、明治初年境内の大半が丸山公園に編入され今に至る。
こんな処にお寺があるなんて、全然知らなかったのですが、それはそれは、なかなかの苦難の歴史ですね。
収蔵庫
この中に一遍上人像以下重文の遊行上人像がずらっと並んでいるのには壮観で驚きました。
ここは学生ガイドさんが説明をしてくれているのですが、お聞きすると、金光寺のものが合併の際、こちらに移ってきたそうです。
一遍上人像
慶派大仏師康秀作で、1301年時宗総本山金光寺を創建の折、その敷地を寄進した七条仏所の当主運慶の三男、第10代康弁以後21代まで金光寺に住し、一遍の信奉者として製作に精進したという大仏師たちに依って遺された時宗初期の歴代上人像7体は、慶派の作風を伝える貴重な像ばかりです。
収蔵庫は通常でも拝観可能だそうですが、普段はどこかの展示会に出張されているかも知れないので、遊行上人像がすべて揃って並んでいるとはいえないそうです。
京都は、山すそのお寺にもこれだけ密度のあるお寺があるのですから、私が知らないだけのことですが、本当に奥深いです。