京の冬の旅~その4 相国寺 大光明寺
1339年、御伏見天皇の皇后・広義門院が、天皇の菩提を弔うために、伏見離宮内に創建した寺が始まりで、江戸初期に現在地に移された。
広義門院の禅の師であった夢窓疎石を開山とし、広義門院の法号をとって「大光明寺」という寺名がつけられた。
伏見宮家の菩提寺であり、1615年に徳川家康によって相国寺塔頭として再興された。
明治36年、塔頭の心華院と天明の大火で焼失していた大光明寺と室町幕府九代将軍・足利義尚(よしひさ)の菩提寺であった常徳院の3つが合併された。
京都に甚大な被害をもたらした天明の大火の時は、応仁の乱よりも大きな被害をもたらし、町の8割が焼けたという。
相国寺も法堂以外は全部焼けたという。
大光明寺の創建当初の本尊が普賢菩薩像だったので、今も創建当初のものではないが普賢菩薩像が本尊として祀られている。
お寺の外の生垣です。何の変哲もない生垣ですが、斜めから見ると、
模様が浮き出てきます。
今回の京の冬の旅ですが、京都には中国人の方がすごく多かったというか、道行く人のほとんどが中国人ではないかと思うぐらい街中に中国語が溢れていました。
旧正月特需です。