町並みと寺を中心に岐阜県を旅して来ました。

第1日目、朝、名神高速に乗って、関が原ICで降りて、そこからまず美濃の正倉院と言われる横蔵寺に詣でました。

→西へと向かい美濃ICから東海北陸自動車道に乗って北上→郡上八幡に到着して昼食。

→東海北陸自動車道でさらに北上→念願の白川郷に到着し、本日の予定無事終了。

2日目、東海北陸自動車道で南下し飛騨清見ICから、つながっている中部縦貫自動車道に乗り換え高山市へ

→千光寺、清峰寺で念願の円空仏に出合い飛騨国分寺にも詣でる。

→JR高山本線と飛騨川と平行している国道41号線で南下して下呂温泉で宿泊。

3日目、国道41号線を南下し可児御嵩の願興寺へ

→美濃焼きの里見学→東名高速道路春日井IC~帰路へ。

岐阜県をまっすぐに北上し、東へ移動し、今度は南下して岐阜県の名所を、ほんのさわりですが満喫してきました。

最初の訪問先は横蔵寺。

名神高速 関が原ICで降りて、そこから417号線で北上して揖斐川町へと向かいます。

近くには西国三十三所の谷汲山華厳寺があります。

寺には22体の重要文化財の仏像が宝物館に安置されており、多くの絵画や書籍を蔵していることから「美濃の正倉院」と呼ばれています。

仏像だけでなく、即身成仏したといわれる妙心法師のミイラが舎利堂に安置されています。本堂・三重塔・仁王門は県指定重要文化財です。

立派な石垣が続いています。

この石垣を見ていると昔はさぞ立派な伽藍が立ち並んでいたと想像します。

創建は最澄といわれており、最澄が自ら彫った薬師如来を祀っていたが、戦国時代比叡山が焼き討ちされたので、その比叡山再興のため、この薬師如来は比叡山根本中堂の本尊となったそうです。

今の本尊も薬師如来が安置されています。

宝物館に仏像は安置されていますが、現在の本尊の薬師如来は秘仏で一年に一度薬師の日にご開帳になるそうで、拝観はできませんでしたが、他の仏様は拝観できました。

目当ての三重塔の筑前講師作の鎌倉時代 大日如来や平安中期の深沙大将、鎌倉時代定慶作の大きな仁王像2体(阿吽像)、平安時代後期の十二神将などがずらっと並んでいる様は壮観でした。

 もみじの木がたくさん植わっており、さぞモミジの頃はきれいだろうし、人がいっぱいになるだろうと思いましたが、

この日は参拝客はほとんどなかったです。とても静かでした。

驚いたのは、舎利堂の真ん中にガラスに入った妙心上人のミイラが安置されていること(ーー;)

妙心上人は江戸時代の人で、信濃善光寺で受戒し、山梨の御正体山洞窟で断食し、入定され村人によって葬られ祀られていたのが、

明治になって出生地の横蔵寺に祀られたそうです。結跏趺坐のままの姿でガラスケースに納まっていました。

絵葉書より

大日如来は、寿永2年(1183)平重親が壇越となり、筑前講師により造立されたことが像内の墨書銘でわかる。

高い宝髷や華やかな天冠台、若々しい顔の表情、引き締まった体躯、玉眼を嵌入。

三重塔に安置されていたら見ることができないかなぁと思っていたら宝物館で間近で拝観できて良かったです。

深沙大将は、鎌倉時代に入っての制作らしく、違例の少ない古例です。

上半身は裸形で、腹面に女面を表し、両手両足には蛇を巻きつけていて、クスノキらしいです。

金剛力士立像は、像内の墨書銘により1256年法眼定慶が4人の小仏師を率いて造立したことが判明する。

73歳の晩年の作。

定慶は、積極的に宋風を取り入れたことで知られるが、ここでは伝統的な形式を採用している。

本尊の胎内仏ー銅造の薬師如来立像は36.5cm

モミジの頃の絵葉書