源頼朝が流された蛭が小島とはこんなところ

立て札と碑が立っているだけで、あたりは公園になっていて他には、何もありません。

教科書でおなじみの「蛭が小島」って場所もここらしいとしかわからないそうで、本当に何も残っていません。

14歳でこの地に流された頼朝は、34歳で旗揚げし、やがて鎌倉幕府創設を成し遂げるが、配流20年における住居跡等の細部はわからないそうだ。

しかし「吾妻鏡」治承4年の記事によれば、旗揚げのころは、妻政子の父北条時政の館に起居し館内で挙兵準備を整えたとある。このことから考えると、頼朝は北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの17年間をこの蛭が小島で過ごしたようだ。

往時は、近在には古河・和田嶋・土手和田などの地名が現存することから、大小の田島(中洲)が点在し、その一つが、蛭が小島だったようです。

北条時政の弟、北条義時の墓です。