大原美術館 受胎告知
1922年当時パリに滞在していた児島虎次郎は、とあるパリの画廊でエル・グレコの「受胎告知」という作品が売りに出されていたのを眼にした。
この作品の素晴らしさを見抜いた小島ではあったが、手持ちがなかったため、自身の出資者である大原孫三郎に送金を依頼、大原も送られてきた写真を見て了承し、小島は「受胎告知」を購入すると日本に持ち帰った。
結果的にこの2人の判断は的中し、現在では、「受胎告知」が日本にあることは奇跡とまで言われている。
日本にあるエル・グレコの作品は、これと国立西洋美術館にある「十字架のキリスト」(製作年不明)の2点のみである。