スタッフブログ

冬は大根

2011年12月3日|カテゴリー「スタッフブログ

手前はかぶら おでんなどの煮物に最適

真ん中は大根 なんでもこなす万能屋

向こうの緑色の大根は、切っても切っても金太郎飴みたいに緑色だそうです。

葉っぱが青々していて湯がいて和え物に使ったのですが、不思議にずっと緑色でした。

お店の物は湯がいて時間を置くと色が悪くなってくるのですが、ならないのは新鮮だからでしょうか?

N様新鮮なお野菜ごちそうさまでした。

木津川ものがたり その②

2011年11月29日|カテゴリー「スタッフブログ

古代・中世にさかのぼる由緒を誇り、国宝・重要文化財を伝える寺々も多く、江戸時代になるころにいくつかの縁起絵巻が作られた。

今回地元の笠置寺・海住山寺・大智寺に伝わる絵巻が展示され、川崎大師平間寺所蔵の「蟹満寺縁起絵巻」が初公開されます。

それにちなんでのシンポジウムが加茂文化センターで開催され木津川管内河川レンジャーとNPO法人やましろ里山の会の活動報告があった後、奈良女子大学教授 千本英史氏・奈良博保存修理指導室長 谷口耕生氏・大阪大学大学院招聘研究員 中山一麿氏の講演が3本続き、パネルディスカッションがありました。

その後、無料シャトルバスで15分ほどの京都府立山城郷土資料館へ連れて行ってもらい、開館時間外ですが、特別に拝観させてもらい、加茂駅まで送っていただきました。

特別展の入場料250円で図録までいただきました。

館内では 資料館の伊藤太氏が特別展の展示品の説明をしてくださり、平常展示のコーナーでは、ボランティアガイドさんが時間外にも関わらず、丁寧に説明してくださいました。

ボランティアガイドさんは、土日には誰かが来ているのでお気軽に声をかけてくださいとのことです。

城陽市・阿弥陀寺のカヤの一木造の薬師如来立像や寺外初公開の木津川市・大智寺の十一面観音像(どちらも重文)が出品されています。

 

上↑ 阿弥陀寺 薬師如来立像

台座の蓮肉までカヤの一木から彫り出している。わずかに顔料が残り、もとは淡黄色を塗って壇像のように仕上げたらしい。翻波式衣文や量感のある体部、厳しい顔の表情など平安初期9Cの作風をよく示している。

明治の神仏分離以前まで枇杷庄天満宮の神宮寺役子院の本尊であった。

大智寺十一面観音立像。

頭体および両手部を含んで一木造の古式な構造え、唇の小さな優しげな表情とともに10世紀末製作の特徴を示している。

平常展に展示されているものの中では、

八幡市宝寿院の阿弥陀如来立像は、最近銘文が見つかり、修理の後、ここに寄託されている。ガイドさんの説明では、寺は無住で、無用心なので檀家の方から預かってほしいとのことで、ここに寄託されている。だから、今でも檀家の方がお参りに来られますということです。でも魂が抜いてあるそうです。

また、本物は京大にあるが、複製を展示している 城陽市久津川車塚古墳の長持形石棺 や珍しい木製のきぬがさの埴輪や木津川市松尾神社・牛頭天皇像が展示してあります。

絵巻について、ド素人なのですが、説明・解説が良かったので、縁起絵巻が作られた背景や貞慶上人の果たした役割など、少しは理解することができました。

解脱上人貞慶は、もと興福寺の僧で、その後、弥勒信仰を媒介として信仰を寄せていた笠置寺に隠遁し、笠置寺の寺観を整備、その後、海住山寺に移り住んだ。

興福寺北円堂の本尊も弥勒如来で、弥勒信仰が盛んで、笠置寺は、磨崖仏の巨大な弥勒仏を本尊とする寺で、現在は磨崖仏は風化しているが、貞慶がいたころは鮮やかだったようだ。

貞慶十三回忌に海住山寺本堂の補陀落山浄土図・十一面観音来迎図が描かれ供養された。

来年は貞慶没後800年で奈良博で企画展が計画中だそうです。楽しみです。

一方縁起絵巻は、お寺の寺格を上げるために江戸期にたくさん作られ、秘蔵されている例が多いが、布教に利用するため利用されている例も多い。

今と違って絵の具が簡単に手に入る時代ではないので、職業絵師が書いたそうだ。

 

ありがとうございました。

なお、「奈良女子大学図書館」でネット検索すると奈良の絵巻物などの画像がみることができます。

 

 

木津川ものがたり その①

2011年11月28日|カテゴリー「スタッフブログ

JR大阪から大和路快速に乗り、JR奈良を過ぎ木津を過ぎ1時間半かかって乗り換えなしで終点の加茂駅に到着。

加茂駅に掲示されている加茂を紹介するボード。

掲示板には、聖武天皇が都と定めた恭仁京跡・浄瑠璃寺・海住山寺・笠置寺・岩船寺などが紹介されています。歴史が古く素晴らしいお寺がたくさん点在しています。

その中で重要な位置を占める木津川ですが、青山高原に源を発し、三重県伊賀市東部を北流し、柘植川と服部川を合わせて西流に転じ、京都府に入り、宇治川、桂川と合流し淀川となります。

ゆったりと川幅が広く流れています。

駅から徒歩5分で加茂文化センター(あじさいホール)。

加茂文化センター↓

ロビーには、シンポジウムで活動報告する、木津川管内河川レンジャーとNPO法人やましろ里山の会の活動の様子が紹介されていました。

明治20年の航空写真が貼ってあり、干拓事業によって姿を消した巨椋池が写っているのに驚きました。明治20年にはまだ池は存在していたのです。

京都府最大の面積を持つ淡水湖は、昭和8年~昭和16年という最近に農地に姿を変えたのです。巨椋池は残せなかったのでしょうか。

第26回国民文化祭・京都2011 恭仁京遷都祭 シンポジウム木津川ものがたり の最初は、「木津川が育んだ自然」と題し、河川レンジャーと里山の会の報告がありました。

報告によると、木津川には本流にはダムがなく、花崗岩から流れ出た砂河川で勾配が緩やかで、少し前までわんどがあり、そこで卵を産んで育っていく魚たちもたくさんあり、イタセンパラなど貴重な魚達が生息していたそうです。

しかし水量が激変し、それに伴いわんどがなくなり浅瀬もなくなり、砂浜が縮小され大変化してきている。

何故、木津川に稀少植物が多いのか。

堤防の土砂が砂で出来ているので、栄養分が蓄積されなくて、水がすぐ浸透してしまう、貧栄養化のところなので、光を奪う大きな樹木が育たないので、小さな植物が育ってきた。

そして、堤防の草は無料の肥料だったので、草刈が実施されてきた。ところが、今は草刈りは、農業の近代化で必要がなくなってしまい、実施されなくなったが、国交省が堤防の草を刈ってくれるので稀少植物が残っている。

だから仕分け作業で予算削減され草刈がされなくなると、危険信号がともります。

レンジャーや里山の人たちの木津川に対する深い愛情で守られいるのがよく実感できる報告でした。

木津川によって文化が育まれてきたのですが、豊かな自然によって植物・生物が育まれてきたのが、今本当に黄信号が点って、深刻な問題となっていることに危惧を覚えました。

つづく