スタッフブログ

松尾大社 御神像公開

2011年9月27日|カテゴリー「スタッフブログ

松尾大社は、阪急京都線の「桂」で嵐山線に乗り換え、「上桂」→「松尾」の2駅目で下車すると、すぐ目の前に松尾大社があります。

この日、松尾大社ではお宮参りに訪れる人で賑わっていました。

拝殿からは、お宮参りの祝詞が聞こえ、外では赤ちゃんを抱いて写真を撮っている姿も見かけました。

おめでたい幸せな空間です♪

そこを通り抜けて右手の玄関で拝観料を払い社務所をくぐると、重森三玲の設計によって作庭された庭空間が広がっています。

「曲水の庭」「上古の庭」「蓬莱の庭」などから構成されている。

「曲水の庭」

説明文によると、それらは、三玲の得意とした立体造形感を全面に押し出した石組み構成を中心とし、動と静を表現している。

庭園内における石は全て徳島、香川、愛媛県の緑泥片岩(りょくでいへんがん)を使用した。

伝統を重んじながらも、現在的な表現を目指した重森三玲の終生の目標であった「永遠のモダン」の、まさに最終表現の庭園が展開している、と記載されていました。

ふーん。

上の写真の右手が宝物館です。

図録からの写真(2500円)

入って直ぐに平安初期作の重要文化財 御神像が三体ガラスケースに収まっておられます。これが圧巻!

以前2体は博物館で見たのですが、同じ神像でも、やはり本家のお家で、三体が並んで拝見させていただくと、スケール感が全然違うのに驚かされます。

ガラスケースですが、360度じっくりと間近で見ることができます。

そして今回摂社末社に奉安されていた御神像が調査され、その中で保存状態の良いものが公開されました。

実物を見ると彩色がとても綺麗です。

本当に良いお顔をされています。

今回調査された神像18体は、神像なので、傷んでいても修復は行わないと書いてありました。

松尾大社は、大宝元年(701)秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾山山頂の 磐座より御神霊を現地へ社殿を営み、お迎えしたのが始まりと伝えられています。

これより、千三百余年、脈々と祭祀は執り行われ、御神威は受け継がれ、現在に至っています。

平成22年、神庫などの整理を行い、従来摂真末社に奉安されていた御神像18体について、御神像研究の第一人者である伊藤史朗氏に調査を依頼していただいた。

図録の表紙は、大山咋神(おおやまくいのかみ)で比叡の日吉社と同じ祭神です。

女神は、九州宗像から戊辰年に松尾に降臨した市杵嶋(いちきしま)姫神。

市杵嶋姫神の遷されたのが大宝元年(701)で憑依のあった戊辰年は天智天皇7年(668)であるから数十年かかっている。

自然物に依りついた神が、長期におよぶ神事によりようやく山下の神殿内に鎮まるというドラマティックな展開が伝わる物語です。

この時点では、神像の造立はおろか、集合事象としての仏像の奉安はまだない。一般的にそれは奈良時代に始まるとされ、松尾社にあって神像は平安時代前期9世紀をまたなければならない。

神像出現を推し進めた要因のひとつは神宮寺の存在。

その格好の例が福井小浜・神宮寺。

8月に訪れたが、本堂の中に仏像と神像が並んで安置されていました。仏像はたくさん並んで安置され公開されていましたが、神像は非公開でした。

神像はほとんどの場合普段は非公開ですね。

この姫神はお顔が斜めを向いておられます。

そのことを神社の方が話をしてくださったのですが、この像を右斜めからみるのと、左側からみるのと、真正面から見るのと、下から見上げるのとでは全然顔の表情が違うのです。

左から見ると、美しく慈悲の溢れたお顔、右斜めからだと怖いぐらいの神々しい顔、正面から見ると眉目秀麗のお顔、下から見ると大仏さんのような男顔で、本当に見る角度のよって全然お顔が違って見えます。

神社の方が何故正面を向いておられないかを毎日顔を拝見しながら考えてそう悟ったそうです。

なるほど!(^^)!

これは御子像。

図録によると、秦氏の信仰にかかわる神像群である。明治40年国宝指定され、昭和25年8月文化財保護法により重文指定。

旧国宝指定の年から翌年にかけて行われた修理の記録によると、現状からは想像も出来ないほどの損傷だった。

それを近代的な理念に基づいて修理がされている。

胴部が両肘あるいはそれ以下から離れ欠失するというのが三体共通し、また膝からも離れ、他にも損傷が多かったというから相当痛々しかったようだ。

その修理箇所ならびに修理の様子が詳しく図録に記載されているのでわかりやすい。

渡来系である秦氏は、現在の京都市のかなり広範囲にわたって住み着き、わが国の政治文化だけではなく産業の発展に尽くしたといわれる。

葛野(かどの)地区における中心が松尾と太秦であり、信仰の要が松尾社と広隆寺であった。

松尾と太秦に強い連携のあったことは、広隆寺僧が松尾社神宮寺に出仕していた近世の状況からもうかがえるし、平安時代にあっても、両地域お互いよく似た神像が残っていることからも容易に察しられる。

たくさんのすぐれた仏像が今でも大切に残っている広隆寺と松尾大社。両者の関係性が親密に感じられた素晴らしい特別展でした。

何も考えずにそのあと広隆寺を訪れたのですが、あとで、図録を読んで、神がお互い呼び合っているのではないかと何か不思議な縁と結びつきを感じていしまいました。

 

 

 

信楽 MIHO MUSEUM

2011年9月24日|カテゴリー「スタッフブログ

9月18日午後からMIHO MUSUEMに行って来ました。

今、新名神高速道路が走っているので、信楽へは楽に行く事ができます。

名神 草津田上ICから名神と新名神に分岐し、新名神に移り、最初のICが信楽です。

まるで空中を走っているかのように山の中の高い場所に立派な高速が造られています。

春に訪れた金勝山 狛坂磨崖仏の上空をトンネルで抜けて信楽ICで降りると、すぐに信楽高原鉄道の事故が遭った現場なのか慰霊碑が建っています。

そして、山の中にどんどん入っていきます。12号線の公道と私道が入り混じっているように思いますが、途中からは神慈秀明会の道になっているように思います。

右手に大きな本殿を見ながら山をあがり美術館に到着します。

春 夏 秋の企画展以外は閉館で、確か山全体が神慈秀明会の敷地だったように思います。

MOA美術館へ行った時も建物の豪華さに驚きましたが、こちらもビックリです。

日曜日だったせいか、また、この企画展が良かったのか、広い駐車場も満車に近い状態でした。

駐車場を降りて階段を登って辿り着いたと思ったら、これはレセプション棟で、ここから乗り物に乗せてもらいます。

8人乗りの車で豪華なトンネルを抜けて美術館に辿り着きます。

館内から外を見ると

向こうに見える建物が本殿

これ1枚板ですよ。

建築は1997年 設計は、建築家I.M.ペイで、パリルーブルのガラスのピラミッドやワシントンのナショナルギャラリー東館を設計した人だそうです。

全然私は知りませんが、建物を見て日本人が設計したものではないとはわかります。

贅をつくした建物です。

ここで、「神仏います近江」展が開催されています。

MIHO MUSEUMのテーマは天台仏教への道と題し、最澄、円仁、円珍による天台仏教確立までの道のりを概観するとしています。

企画展は北館で、常設展は南館での展示です。

仏像は、千手寺と善願寺の唐時代の僧形坐像、櫟野寺・吉祥天立像(ポスター真ん中) 正法寺・帝釈天立像 大日寺・薬師如来坐像  洞照寺・阿弥陀如来坐像 最古の最澄像である観音寺の伝教大師坐像 

などが出品されていました。園城寺展が開催されたとき初出品された不動明王坐像も今回綺麗に修復されていました。

また、最古の軍装の明寿院大黒天半跏像 

かつて興福寺にあった四天王四体がが一体は興福寺に、二体は奈良博に、あともう一体がここにあるという持国天像

善勝寺の千手観音像など(ポスターに展示)量はそれほど多くはないけれど、見応えのある作品がならんでいました。

国立博物館ほど展示量はなかったので、見やすかったです。(国立はこれでもか!というほど並ぶので、素人には見るのに疲れる【贅沢】)

目録よりも展示期間によって内容の入れ替わりが多いので、作品自体は多くはないです。

それから常設天の南館に回りました。

コレクションはギリシャローマ 西アジア 西アジア 南北朝 殷・周・漢 とテーマごとに区切って展示がされていてコレクションの充実さをみせつけられました。

特に、中国 北周 6世紀後半 大理石に彩色された棺床屏風が素晴らしかったです。

上の写真でパンフレットではわかりにくいですが、乳白色の石にまだ彩色も残っていて精緻でありながら大らかで保存状態も良好でした。

北魏5世紀後半に確立された死者を安置する葬具で6世紀には門が付けられるようになった。中国に定住した拝火教を奉じるソグド系の人々もこの葬制を受容したものと想像される。

屏風に刻まれた意匠は、生前の場面、守護神、葬儀と審判場面、楽園での宴飲場面などが主で生前正しき所業を積み、神々の守護を頂き、めでたく死後の楽園へと至った墓主の物語を見るようであるとかいてありますが、いつの時代もどの宗教でも変わらぬ主題ですね。

常設展示も見ごたえがあり、時間が足りなくなり5時の閉館時間を知らせるチャイムが鳴り響く中を寸時を惜しむように常設展示を見歩いていました。

外へ出ると、バス停にたくさんの人がバスを待っていました。

バスはJR石山駅と結ぶ帝産バスと信楽駅とをむすぐ信楽高原鉄道バスがありますが、帝産ばすが1日5~6便あり、こちらが便利です。

でも、車でないとなかなか来にくい場所ではあるようです。

美術館からレセプション棟を望む

贅をつくした現在の美術館と古くから伝わる天台仏教とを楽しみました。

久しぶりに美味しいかき氷を食す

2011年9月20日|カテゴリー「スタッフブログ

場所はならまちの元興寺の近くにあります。

 

野菜の美味しいお店「粟」の隣で、通りに面しています。

 

駐車場も店の側に1台か2台ありました。

 

 

この箱階段をあがります。かなり急な階段です。

 

こんなところにお水取りのおたいまつが。

 

 

最初に出されたお茶とお絞り。

 

 

社長は珈琲と季節の生菓子を注文

 

私はカキ氷を注文しました。

 

 

下の説明に書いてある通りの極上のおいしいかき氷でした。

 

樫舎のかき氷のご紹介

 

 

 

器    奈良漆器 たる井様の合鹿椀

 

氷    数日間かけて作った純水氷

 

抹茶蜜 特別にお願いして分けていただいている抹茶を使った自家製蜜

 

餡    丹波大納言を使用した自家製つぶあん

 

白玉   国産のもち米を寒ざらしにした白玉(寒ざらし粉ともよばれる)

 

寒天   国産の天草のみを信州の寒風で乾燥させた昔ながらの極上寒天

 

 

 

で出来上がります。

 

 

 

                           1050円

 

私にとってひと夏に一度は食べないと夏が終わらないかき氷になりました。

 

本当に「和」のテイストの頭の痛くならない上質のかき氷です。

 

 

珈琲とくず餅です。

 

おいしい干菓子を2つ出してくれます。

 

あとで入ってこられた方が薯蕷饅頭を注文されていたのをみて、じょうよまんじゅう大好きな社長は食べなかったことに未練があり、

 

帰りに持ち帰りに頼みました。

 

和菓子もかき氷も美味しい。

 

それは、気持ちを込めてとても丁寧に作られているからだと思います。

 

それは、2階まで持ってきてくれる店主のしぐさにも現れていて、さすが春日大社御用達の樫舎さんだと思わせます。

 

とても上質な空間でいただくお茶とお菓子で幸せな気持ちにさせてくれるお店でした。

 

ごちそうさま(●^o^●)