篠山 下小野原 和田寺

丹波多紀郡(現篠山市)の古刹の開創はそのほとんどが法道仙人によるものだそうです。

そういえば加西市・一条寺も本堂が国宝指定の朝光寺も開祖は法道仙人でした。(天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物です)

和田寺も大化2年(646)法道仙人が一宇の堂を建立したことに始まる。

和田寺(わでんじ)と読みます。

境内の椎の大木は兵庫県郷土記念物に指定されて、県内最大のツブラジイの巨木だそうで、真新しい本堂は、秘仏の千手観音菩薩(市指定)が祀られている。

篠山市の文化財をネットで調べていると国指定・県指定・市指定の仏像はすべて映像がぼやかしてあります。

だからだいたいの輪郭がつかめる程度にしかわかりませんが、それはそれとして文化財が、開示されているので助かります。

以前、福井県の文化財を調べていると、映像も場所もきちんと整理されすごく充実した内容になっています。

他県もこんなに充実してくれると私のような素人には大助かりです。

話を戻して和田寺ですが、

門から参道をだいぶ上に上がっていくのでお堂が建っている辺りは下界と気温差があり、廻りが山で木が生い茂っているし後ろは山で、涼しく感じます。

弘仁11年(820)天台宗京都妙法院末となり以後大いに繁栄したが源平合戦に巻き込まれ一山ことごとく焼失。

再建され、幕府管領職にあった細川政元・細川高国らの文書や後水尾天皇が寄進された仏像などが伝来、中世の兵庫丹波における貴重な資料群とnなっている。

明治以後、衰退の途をたどり、現在は本堂・庫裏・仁王門が残るばかりですが、さらに近年になって大規模な霊園工事が行われ、かつての古刹らしい雰囲気は失われている。

仁王門の仁王像が古刹の面影を残しているように思いました。

 

上の写真のような木枠と網によって鳥害から守られているので見えにくいが、中をのぞくと下の写真を撮ることが出来たように全体像をよく見ることができた。

篠山市指定文化財。

元は現在地より上にあったが昭和18年移転された。

檜寄木造。高さは阿形が265cm 吽形が238cm

再度の修理で各部分が取り替えられているが彫りの深さ、太い衣文や玉眼の入れ方、内刳りの方法、全体の表現から鎌倉中~後期の作と推定される。

表情には迫力があり、胸部は厚く、形状が良い。体部は力強く、背部もしっかりと造られている。

この仁王像がかつて栄えていたことや古刹だったことを伝えている。