東大寺二月堂修ニ会
奈良ファン倶楽部が主催するたくさんの行事のひとつの東大寺二月堂修ニ会に参加しきてきましたが、当日15時50分には受付を済ませて欲しいと書いてあったので、40分ごろに集合場所の、二月堂北参籠所に到着したのですが、
すでにほとんどの方が席に着いておられ、80名定員の内、私がほぼ最後の方になるくらいに、皆さん早くから来ていました。
東大寺ミュージアムで不空羂索観音と日光月光菩薩のお顔を拝して、それから手向山八幡宮にお参りして、法華堂が閉まっているのを確認して‥‥と悠長なことをしていては駄目でした。反省!
手向山八幡宮
閉まっている法華堂
修学旅行生で賑わっている3時半頃の二月堂
修ニ会の見学者の安全のための竹矢来がたくさん組まれています。
左に、真ん中に3代目になるという大きな良弁杉が聳え立っています。
上は、周辺見取り図です。この地図のおかげで位置取りがしやすかったです。
二月堂は西向きに建てられています。
普通は、南の石段より上り下りしたり二月堂の舞台から景色を眺めたりするぐらいで、屋根付の北側の登廊や北茶所に足を踏み入れたことはありません。
まして、その奥の北参籠所にも初めて入らせていただきました。
北参籠所は、細長い木造の建物で、暖房は石油ファンヒーターが2台ほど置かれているだけで、4月の気温で温かかったのが幸いでした。
北の階段から上がっていったのですが、そこには本日使うお松明が10本用意されていました。
4時より東大寺史研究所 坂東俊彦氏に修ニ会についての講演を聞かせていただきました。
お話の内容は、修ニ会‥二月に修せられる法会という意味で、東大寺ではかつて法華堂でも行われており、薬師寺では3月30日~4月5日の「花会式」が修ニ会に当たる。
旧暦2月に行われたので「二月堂修ニ会(しゅにえ)」が正式な呼び名であるが、大きな松明を使うため「お松明」とか本尊に捧げる『閼伽水』を汲むため「お水取り」とか呼ばれている。
起源は、大仏さまの開眼の年の天平勝宝4年(752)で、それが現在まで絶えることなく続けられており、今年で1261回目となる。
初代別当良弁僧正の弟子、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によって創始されたこの行法は、正式名称を「十一面悔過」といいます。
様々な過ちを人々に代わって絶対秘仏である本尊十一面観音菩薩に懺悔して、万民の幸福を願い、さまざまな過ちを人々に代わって観音菩薩に懺悔する行が中心です。
その一方、法会の中では日本全国の神々を行法の場に勧進する「神名帳」に代表されるように神事の色彩も多く見られ、神と仏が密接に結びついた習合の様相を伺うことも出来ます。
修ニ会は東大寺の中では、最大の行事であり、最大の難業で2月20日~3月15日までのほぼ1ヶ月にわたる行法です。
参籠するのは練行衆と呼ばれる僧侶で、それぞれ戒を授ける和上、行法全体のリーダーとなる大導師、印を結び陀羅尼の咒(しゅ)と唱え道場を結界する咒師、進行係の堂司(どうつかさ)など11名ですが、あと補佐するものが多く参加されます。
松明は毎日10本 練行衆が入堂するときの足元あかりで、周りの人々に二月堂に練行衆が入ることを知らせるもので、江戸時代に参拝者が多くなったため今のように大きくなった。
その他、一日の行法などのお話を聞かせていただきました。
お松明を参拝するにあたり、修ニ会とは何なのか、歴史や意味を聞かせていただいたため、参加していてもそれが法会であることが強く意識され、とても意味のある感慨深いものとなりました。
練行衆が作られた、二月堂須弥壇を荘厳するための椿の造花
修ニ会のときだけ着る紙衣
2月20日~25日までの試別火(ころべっか)のときに作る。
お話のあと、精進料理をいただきました。
出し汁もかつおを使わない。
卵は精進料理ではないので、使っていない。
その後、お松明を各自自分で場所を探して見に行きます。
お松明終了の7時20分後は、男性で希望者は内陣へ入堂することができます。
女性は「局」と記されているところに入ることができますが、自由なので、ここですでに解散です。
食事後、北参籠所を出て北茶所を通り抜けると北出入り口の前には、すでに大勢のカメラを持った人が場所を確保してカメラを構えています。
二月堂の前に行こうとするとすでに大勢の参拝客が正面に陣取っていて、もうすぐ縄をはりますとのこと。
北の階段を下りて場所確保に向かいます。
説明の中で、北の石段の所にすでにお松明が立てかけられているので、北の石段を上がっていくので、その辺りが良く見えますとのことなので、前方の北石段辺りに陣取りました。
それが6時。それからどんどん人が増えていき、下を見ると、人人人
6時前には、まばらでしたが、黒山の人となりました。
お松明前の北出入り口あたりの明かり。
前が一番前列で竹矢来の先は消防署の方が火の粉を払うために待機しています。
竹矢来の自然の竹で組んでありますし、手摺も階段も全部木で組まれているので、風情を損ねることがありません。
7時になるとすべての照明が消され、辺りは真っ暗闇となり、お松明の明かりだけが燃え上がります。
北の登り廊を1本ずつ一人の人が火が燃え盛る松明を持って上がります。
そして、欄干の正面の上の場所で松明を突き出します。
そしてそれを欄干に添って松明をグルグル回しながら端から端へ走っていきます。そして向かって右端でまた欄干より高く突き出します。
火の粉が舞い上がり、飛び散っていきます。
西正面の前の方から見ていたので、火の粉が飛んできます。
それは、それは、綺麗であるし、荘厳です。
法会なので拍手はしないで下さいとアナウンスがありますが、拍手よりも思わず手を合わせたくなるそんな雰囲気です。
北登廊をあがっていく松明。
毎年参加されている方、遠方より来られている方、昨日も来ていた人など、一度だけでは終わりたくない、また見に来たくなる法会です。
1本ごとに歓声があがり、10本全て燃え尽きて終わりです。
そのあと、人が移動していきます。
女性が入ることができる、局は北、南、西の3箇所あり、自由に出入りできます。
北の局に入りました。目が暗闇に慣れてくると、中の練行衆の様子が部分的に、窺い知ることができ、耳にしっかりと声明が聞こえてきます。
そして立って歩く姿もわかりますし、履物の大きな音もするし、勤行の様子が思った以上にわかります。
局が暗くて静かなだけに内々陣の様子が伝わってきます。
十一面悔過とは、我々が日常犯しているさまざまな過ちを二月堂の本尊である十一面観音菩薩の前で懺悔する。
それだけではなく、その時代の国家の安寧や国民の幸福を願うという修ニ会の主旨そのものから、常に現代の人々の心の中に生き続けてきた儀礼であるからこそ、「不退の行法」として今まで一度も止むことなく引き継がれてきたのかもしれない。
という本来の意味をしっかりと胸の奥で感じることができた、お松明への参拝で、暗い局の中で厳粛な気持ちになれました。
それと、昨日は温かくて本当に助かりました。これも仏のご加護です。