東国の運慶仏
新幹線の三島で伊豆箱根鉄道駿豆線(しゅんずせん)に乗り換えて韮山駅で降ります。終点が修善寺駅です。修善寺といえば、鎌倉幕府2代将軍源頼家が幽閉され悲況の死を遂げたことでも知られているので、これを終点まで乗れば、その現場に立ち会うことができるんだと、歴史ある地名に想いを馳せながら、韮山駅でおりて、大きな道を歩きながら15分ほどで、願成就院に到着しました。
昔は全盛期には巨大な池とその中の小島を橋でつなぎ、多くの堂宇や塔がそびえ立つ、壮大な伽藍を誇る伊豆屈指の大寺院として栄華を誇ったそうですが、今は本堂と大御堂が建っている素朴なお寺になっておりました。大御堂には誰もいなくて、となりの本堂にも誰もいなくて心細くなりながら、その隣の住居をピンポンしたら年配の婦人が出てこられ、ようやく大御堂に入れることができました。
でも、案内してくださった住職婦人の方がとても感じが良くて、説明もしてくださるし、どうぞ間近でご覧下さいと、心ゆくまで拝観させていただきました。
真ん中には、重文の胸の前に両手を掲げる説法印の阿弥陀如来坐像は、堂々としたはちれんばかりの体格です。顔と手などが破損していて残念ですが、この大きな体で、度重なる兵火の中寺僧らの尽力で今日まで現存していること自体が奇跡です。
眷属として向かって右側に毘沙門天立像、左側に不動明王二童子像が立っています。こちらは、とてもきれいな状態で立っておられます。
「吾妻鏡」では北条時政が、源頼朝の奥州平泉征伐の戦勝祈願のため建立されたとされているが、実際はその3年前から造り始めたことが判っており、北条氏の氏寺として寺が建立され、運慶が招かれて造ったものだというのが定説になっているようです。
あとで、後側のお堂にも案内してくださり、胎内に納められていた運慶の名のある塔婆形名札の現物を見ることができ、北条政子の七回忌に作られたという地蔵菩薩像も見せてもらうことができ、感激でした。
(ほんものの塔婆まで見ることが出来るとは思っていなかったので、感激でした(^u^))
住職婦人が、北条早雲による動乱で堀内公方の茶々丸がこの願成就院にいたことよりお寺はほぼ全焼したこと、再建されたものの豊臣秀吉の小田原攻めで、再び全焼し、数々の苦難で、多くの寺宝は灰燼に帰したこと。そして、江戸時代に北条氏貞が再建し
今は小さな境内であるが、付近全部が史跡になっていることなど、説明してくださいました。
1月26日から3月6日まで「金沢文庫」で運慶展が開催されます。
願成就院のあと浄楽寺にも行きたかったのですが、電話で拝観のお願いをしたところ、事情があって、今年は、もう拝観はしていないと言われました。
運慶展開催を後で知り、この準備のために拝観ができなかったんだとわかりました。
ちなみに、願成就院さんでは、運経展に出品はされないとのこと。住職が断ったとお伺いしました。
https://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiyokoku.htm
本当に運慶の素晴らしさの再確認と、住職婦人のお人柄で、温かい気持ちになり、お寺をあとにしました。
行けて良かった(^.^)/~~~
願成就院の運慶仏 五体が重要文化財に指定されています。
不動明王、制た迦童子、矜羯羅童子 毘沙門天立像