月輪寺(つきのわでら)
月輪寺は、京都盆地の西にそびえる愛宕山(924m)の東方の深い山中に位置する山岳寺院である。
開基は泰澄と伝える。
その後、光仁天皇の勅により慶俊僧都が和気清麻呂と協力して愛宕山を中興し、唐の五台山に倣って、5箇所の峰に寺を置いた。
それらは朝日峯の白雲寺 大鷲峰の月輪寺 高尾山の神願寺(神護寺) 龍上山の日輪寺 鎌倉山の伝法寺であったという。
このとき、地中から得た宝鏡の銘に「人天満月輪」とあったため寺号に冠し、月輪寺=がちりんじと称した。
平安時代には空也が来山し、九条兼実も当寺に隠棲したという。法然と親鸞は流罪(承元の法難)になる前、月輪寺に兼実を訪ねて別離を惜しんだと伝えられている。
それでも、明治の廃仏毀釈までは、参拝の人で賑わっていたといいます。
車で登れるお寺も多い中、ここは、歩いて登るしかお寺に行く方法はありません。
無住になっていた時期も50年間ほどあったそうです。
事前に連絡をして拝観お願いをしました。
電話口に出られたのは女の方で、雨なら拝観不可で、行く道も丁寧に教えてもらいました。
車ならナビで月輪寺と入力するととんでもない方向に連れて行かれるので、入れないで清滝の町を目指してくるように教えてもらいました。
案の定、住所でナビを入れると、地理的には隣にある高尾山神護寺に行く道に誘導しようとします。危ないアブナイ(ーー;)
電話を切ったあと、電話に出られた方はこのお寺に住んでいるなら、どんな暮らしをされているのか聞いてみようと思いました。
途中トイレも自動販売機もないので、トイレも済ませお茶も買ってタオルも持参し、準備OK
清滝を目指し、清滝をトンネルを抜けるとバス停にでます。ここから歩いていく人も多いようで、何人もの人をみかけました。
途中まで車でいけると聞いていたので、林道を登っていきましたが、狭い道で片方は山、片方は崖でスリル満点の山道です。
途中、軽トラックと出くわせましたが、何とかすれ違いが出来たけれど、場所が悪かったらすれ違いは無理という難所で車で登るのはオススメできません。
二度と車で行きたいとは思わない道です。
借りていると尼僧にお聞きしました。(私が土地を持っていたら、寄進しますのに‥)
ここからは歩くしかありません。
道はきれいになっていたので、歩きやすかったです。
ひたすら登って歩きます。
途中倒れても誰も助けてくれません。
携帯もあまりつながりません。
具合が悪くなって倒れてもヘリコプターが下りてくる場所もなく自力で何とかするしかないところです。
休憩なしに歩き続け45分でたどり着きました。
尼僧が出迎えてくださり、熱いお茶をごちそうしてくださいました。
檀家もない寺で、法然上人の二十五霊場になっているからそれを目当てに訪れる人があるのが幸いだという。
記帳してご寄進をしてきました。
宝物館に案内していただき、初めに、「月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」 を美声で唱えていただき(歌うかな)
寺の由来などたくさんお話を聞かせていただきました。
そして、ゆっくり仏像を鑑賞させていただきました。
重要文化財 千手観音一木造り 平安前期。
遠方から来られる方はこの仏像が目当てだという人が多いそうです。
重文の空也上人像は、ここと六波羅蜜寺しかない。
京博で開催された天台宗の特別展に出張されていたのを覚えています。
最初、特別展の入り口に展示される話がだんだん奥に引っ込められたらしく、それでは約束が違うと東博への出張は取りやめてここに帰って来られたそうです。
また、他の仏像はほとんど一木造りなので、寺からはでていないそうです。(この山道はかついではいくのは至難の業)
お寺から京都が一望できます。
素晴らしい見晴らしです。
仏像も素晴らしかったですが、私が一番感銘を受けたのが、この尼僧さんの生き様でした。
交通手段が途中までの険しい林道しかなくそこから小一時間歩くしかないなかでの暮らしって想像を絶します。
でも、東北の被災地に心を痛めておられていました。
今でも夜は、こたつがいるし、電気もよく途絶えてしまいます。火災が怖いので、火気は最小限の暮らしで、お風呂もない。
野菜を作っても鹿がやってきて食べてしまうけど、鹿もおなかもすかせているのかと思うといとおしい。
倒れても誰も気づいてくれないし、病院に行くにも、山を降りていかないといけない生活。
でも、すごくお肌の色艶もよくてお元気で、たくさんお話を聞かせていただきました。
ちょうど大原の朝市で野菜をたくさん買っていたので、野菜不足を知っていたら背中に背負って持っていったのに、残念で帰り道悔やむことしきり。
宅急便で送ったらどこまで届くのだろうか。
そんないろんなことを考えならが下山をしました。
毎日お風呂に入って、毎日おいしいご飯を食べることができて、車で買い物にでかけるという暮らしを当たり前のように享受している生活。
今も強烈に鮮烈に生き様が頭を往来しています。
ありがとうございました。合掌。