陽明文庫展 開催中です。
私は、陽明文庫が京都にあることすら知らなかったので、京博へ行く前に、公益財団法人 陽明文庫 文庫長 名和修氏の講演を拝聴することができたのが良かったです。
国宝8件、重要文化財60件の全てが展示される初めての試みということですが、それがすべて古書や典籍なので、予備知識がないと展示内容を理解することができなかったです。
名和修氏の講演はとても分かりやすく、沿革は、レジュメとして配ってもらい、当日は、文庫所蔵品の内容について映像から解説していただきました。
そのレジュメの沿革の概略を紹介すると、
近衛家は5摂家筆頭の家柄で、藤原不比等の直系で次の代の南・北・京・式と4家に分かれるが、その中で北家がその後も繁栄し、代々朝廷において重要な地位を占め、平安中期には藤原道長の全盛期を迎える。
その後、武士に政治の実権が移ると、家が分かれる。
平安京の近衛大路室町に邸宅があったので近衛殿の近衛家、九条通の九条家。
さらにその後鷹司、二条、一条と五摂家に分かれていきこの五家に限って摂政・関白の職が継承できることとなるが、近衛家は始祖が嫡流であったのでその筆頭に位置する。
近衛家では、以来連綿としてその家系絶える事なく今日に至っている。
しかしその大資料群も安穏として伝わったわけではなく、歴代のものを分散させることを堅く禁じ守り伝えることを家憲としてきた。
応仁の乱には、岩倉実相院に移し戦火を逃れてきた。
また、明治になって皇居が東京に移され公家も東京へ移住する中、最後まで残った近衛家も一族全て東京へ移住したが膨大な文書類は京都に残され各所に預けられた。
その後、、時の首相の近衛文麿が書庫を建て、各所に預けられていたものをものを解除し集結させ、陽明文庫を設立した。
かくして、千年近い年月、代々弛まぬ努力をして伝え継がれてきた資料群は、資料拡散を将来とも起こらぬことを約束された形で、二棟の書庫に納められて現在に至っている。
作品の説明を聞いていると、江戸時代の家熈(いえひろ)という人が、文書を掛け軸にして装丁したり、切ったりといろいろと好きなようにしています。
文庫長いわく「自分の家のものだから(^_^;)」と言われていましたが、いいのか悪いのか(^_^;)
平安時代の日記が写本でなく直筆で残っているのは、奇跡に近いことで、それが最高権力者藤原道長のものだとすると間違いなく、国宝の中の国宝です。
展示されているほとんどが陽明文庫のもので、金峯神社所蔵の道長が吉野に埋めた金銅藤原道長経筒など少しで陽明文庫の内容の充実ぶりがうかがわれます。
5月27日まで京都国立博物館で開催されているので、是非近衛家が守り伝えてきた貴重な名宝をこの機会に見に行かれてはいかがでしょうか。