アンニョン、生野コリアタウンをフィールドワーク

この地図は、コリアタウン内にある郵便局から戴いてきたものです。↑

郵便局のウインドーにmapあります、と書いてあるので、遠慮なく戴いてきました。

おいしい食事遍は別で紹介します。

今はお勉強遍です。

お約束していた13時半ごろに雪となり、傘が手放せない状態になったので、コリアタウン概略を観音寺というお寺の中で話を聞かせていただきました。

コリアNGOセンター代表理事の郭 辰 雄 (カク・チヌン)さんの説明がすごくわかりやすく上手だったので、スーと頭に入ってきました。

が、どれだけ残っていたかは‥‥(ーー;)ですが、まずは、頭に入ってくることが肝心。

外から見るとお寺かどうかわからない普通のビルの中に、観音寺はあります。

日本のお寺は写真撮影禁止が多いですが、郭さんにお聞きすると写真撮影OKだったので本尊もパチリ。

朝鮮人は先祖の墓を大切にする民族で、1970年80年代に、多くの在日1世の方が日本で亡くなったときに御霊を鎮めるためにこのお寺が1988年に建立されたそうです。

この高いビルの上がすべて納骨堂になっていて永代供養されているそうです。

4月8日のお釈迦様お誕生日に奉納された蓮にお名前が書かれたちょうちんが天井に所狭しと並んでいます。

郭さんのお話によると、この間のサッカーアジアカップで活躍した李くんも帰化していますが、今、在日で年間一万人が帰化していて、また、在日の8割が国際結婚をしているそうです。

また、ニューカマーで研究・商売・結婚などで新しく来た人も増えているそうです。

韓流ブームで若い女の子がライブにきた時キャリーバックを引いてにコリアタウンに立ち寄ることが多く、「今日は大阪城ホールでライブがあるなあ」と、わかるそうで、韓流ショップも増えています。

日本が植民地支配していた時に、強制連行に連れて来られた人、土地を追われて、仕事を求めてきた人などたくさんのひとが朝鮮半島から日本に渡ってきたなかで、平野川改修工事に若い

男の人が従事し、その人たち相手の食べ物などの商売を露天でする人が増えたことがコリアタウンのはじまり。

そして、長い時間かけて、生活する人の生き様の町が今のコリアタウンの姿だそうです。

平野川

たくさんの小さな川をまとめて新たに作った川。道理でまっすぐ直線に伸びています。

その改修工事にたくさんの朝鮮人の人たちが従事したそうですが、賃金は日本人の7~8割ぐらいの安い賃金での労働だったそうです。

キムチ屋さんも見学させていただきました。

いろんな材料プラスいわしの発酵させそれを火にかけさましたものを加えて、キムチをつけているので保存料など一切使っていない、本格的なキムチ屋さんです。

豚肉屋さん

豚は鳴き声以外捨てるところがない。

豚は、昔は、天皇に献上した食べ物だったそうです。

道しるべ

昔の街道に建っている道標で、昔は右へ行くと生駒へ通じていたそうです。

仁徳天皇の時の都がこの近くの高津(こうづ)にあり、他にも仁徳天皇ゆかりの地がたくさんあります。

「つるのはし跡」の説明に「猪甘」(いかい)とう名が出てきますが、この近くの浄土真宗のお寺の住職さんのお名前が猪甘さんだそうです。

百済から来た渡来人が大阪にはたくさん住んでいて拓けていました。そんな歴史を感じるところです。

今、私たちの朝鮮の人たちに対する変化は、キムチに一番現れているそうで、今では、キムチは子どもからおとなまで、日本人に普通に馴染みのある食べ物になりました。

それは、ソウルオリンピックを契機に変わって行ったようで、それから日韓共同開催のサッカーも大きな役割を果たしていると郭さんは言われていました。

これだけ地球が狭くなってくると、お隣の国同士が仲良くなることは必須条件ですね。

私もK-POPにはまっていますが、老若男女すべてのひとが、文化は国境を軽々と越えてゆきますね。

飛鳥時代前後や奈良時代には朝鮮半島からたくさんの人たちが日本海沿岸や九州や大阪や奈良に渡ってきて先進文化をわが国にもたらしてくれました。

それを一生懸命先人たちは、吸収して仏教文化も先進技術も習得していった歴史があります。

仁徳天皇の昔から生野は人の営みがずっと続いており、今の時代もたくさんの店が軒をつらねて活発に生活しているそのエネルギーを感じることができたフィールドワークでした。

カムサハムニダ(●^o^●)

 それにしても雪降りやまず‥‥